歯科M&Aのスキーム|株式・事業・分院譲渡の違い
歯科医院M&Aのスキームは、「個人経営か医療法人か」と「医院全体か分院だけか」によって候補が変わります。個人医院では事業譲渡、医療法人全体では出資持分譲渡や社員・役員の交代、分院のみでは事業譲渡が中心です。価格だけでなく、行政手続き、雇用、契約、診療録、税務まで比較して選ぶ必要があります。
歯科医院M&Aのスキームは何で決まる?
歯科医院M&Aのスキームを検討するときは、最初に次の4点を確認します。
- 運営主体は個人か医療法人か
- 医療法人の場合、出資持分があるか
- 医療法人全体を譲るのか、一部の医院だけを譲るのか
- 買い手が歯科医院の開設者になれるか
厚生労働省の調査研究では、医療法人の承継方法として、社員の入退社、持分譲渡、合併、分割、事業譲渡などが整理されています。実際の歯科医院M&Aでは、法人形態や譲渡範囲に合わせて複数の手続きを組み合わせます。
個人医院・医療法人・分院で候補が異なる
代表的なスキームは次のとおりです。
- 個人経営の歯科医院:事業譲渡
- 持分あり医療法人の全体:出資持分譲渡と社員・役員の交代
- 持分なし医療法人の全体:社員・役員の交代を中心とする承継
- 医療法人が運営する分院:分院事業を対象とした事業譲渡
この分類はあくまで基本形です。合併や医療法人の分割を検討する場合もありますが、法人類型や税務上の条件によって利用できる方法が異なるため、個別の確認が必要です。
歯科医院の「株式譲渡」は厳密な用語ではない
「歯科医院の株式譲渡」という検索語は使われていますが、医療法人は株式会社ではないため株式を発行しません。医療法人のM&Aを正確に説明する場合は、出資持分譲渡、社員の入退社、理事・理事長の交代などの用語を使います。
ここでいう医療法人の「社員」は、社員総会の構成員を意味します。歯科医師、歯科衛生士、受付などの従業員を指す言葉ではありません。出資持分の保有者、社員、理事、理事長、診療所の管理者は、それぞれ別の立場として整理する必要があります。
買い手が開設者になれるかも確認する
医療法第7条では、臨床研修等修了歯科医師ではない者が診療所を開設する場合、都道府県知事等の許可を受けなければならないと定めています。個人の歯科医師、既存の医療法人、新設する医療法人など、買い手の属性によって手続きが変わります。
そのため、買い手候補が見つかってから確認するのではなく、譲渡スキームを設計する段階で、買い手が予定する開設形態を保健所や都道府県へ相談することが重要です。
株式譲渡・事業譲渡・分院譲渡の違い
| 比較項目 | 株式譲渡に相当する法人承継 | 事業譲渡 | 分院譲渡 |
|---|---|---|---|
| 主な対象 | 医療法人全体 | 個人医院または医療法人の事業 | 医療法人が運営する一部の医院 |
| 実務上の方法 | 出資持分譲渡、社員・役員交代等 | 対象資産・契約等の個別承継 | 分院事業を対象とする事業譲渡等 |
| 開設者 | 医療法人自体は原則として存続 | 買い手側の開設者へ変更 | 対象分院の開設者が変更 |
| 資産・負債 | 法人内に原則として残る | 引き継ぐ対象を個別に決める | 分院分を切り分ける |
| 雇用主 | 同じ医療法人なら原則として変わらない | 買い手へ変更 | 対象スタッフの雇用主が変更 |
| 対価の受取人 | 持分譲渡では持分保有者等 | 個人医院では個人、法人事業では法人 | 原則として売り手医療法人 |
| 主な注意点 | 潜在債務も法人内に残る | 契約・雇用・行政手続きを個別処理 | 本院との共通経費や契約の切り分け |
大きな違いは、法人に属する資産・負債や契約関係を法人内に残したまま経営体制を交代するのか、対象となる資産や契約を選んで移すのかという点です。
医療法人全体を承継するスキーム
持分あり医療法人は出資持分譲渡を検討できる
持分あり医療法人では、出資者が保有する出資持分を買い手側へ譲渡する方法を検討できます。ただし、出資持分は株式会社の株式と同じものではありません。持分を移すだけでなく、社員、理事、理事長などの経営体制も適切に変更する必要があります。
医療法人自体は存続するため、法人名義の預金、医療機器、借入金、雇用関係などは法人内に残ります。買い手は、簿外債務、未払残業代、税務上の問題、診療報酬の返還リスク、個人保証などをデューデリジェンスで確認します。
持分なし医療法人は社員・役員の交代が中心になる
持分なし医療法人には譲渡できる出資持分がないため、社員の入退社や理事・理事長の交代によって経営体制を承継する方法が中心になります。
持分譲渡代金を院長個人が受け取る構造ではないため、退職金、役員借入金の返済、個人所有資産の取扱いなどを含め、誰がどの名目で対価を受け取るのかを慎重に設計しなければなりません。医療法人には剰余金配当の禁止があるため、法人財産を自由に個人へ移すことはできません。
法人が同じでも届出が不要とは限らない
開設者である医療法人自体が変わらなければ、事業譲渡に比べて契約や雇用関係を維持しやすい可能性があります。ただし、理事長、役員、管理者、勤務歯科医師、法人の登記事項などが変わる場合は、それぞれ変更登記や行政への届出を確認します。
また、法人格が継続しても、売り手院長の診療に患者が集中している医院では、引退後に患者数が減る可能性があります。後任院長との併診期間、患者への案内、スタッフへの説明方法も承継計画に含めることが大切です。
関連記事:医療法人M&Aの流れと注意点
個人経営の歯科医院を事業譲渡するスキーム
譲渡対象を一つずつ決める
個人経営の歯科医院には譲渡できる株式や出資持分がないため、事業譲渡が基本的な候補です。譲渡契約書では、次のような対象を個別に特定します。
- 診療ユニット、歯科用CT、滅菌器などの医療機器
- 内装、什器、在庫、歯科材料
- 屋号、電話番号、ドメイン、ウェブサイト
- 予約システム、保守契約、リース契約
- 営業権・のれん
- 不動産または賃借権
- 診療録等の承継方法
引き継ぐ対象を選べる一方、「リース残債を誰が負担するか」「在庫は基準日の数量で精算するか」などを明確にしなければ、譲渡後のトラブルにつながります。
スタッフや契約は自動的に移らない
事業譲渡では、スタッフの労働契約が当然に買い手へ移るわけではありません。承継後の雇用主、給与、勤務地、勤続年数、有給休暇などの取扱いを説明し、対象スタッフから個別に承諾を得ながら進めます。
厚生労働省の「事業譲渡等指針」は2026年5月25日から改正内容が適用されています。今回の改正は企業価値担保権に関する事項の追加が中心ですが、事業譲渡において労働者との適切な協議・説明が重要である点は変わりません。
賃貸借、リース、保守、借入金などの契約も、事業譲渡契約だけで一律に移転するわけではありません。契約内容を確認し、必要に応じて貸主、リース会社、金融機関などの承諾を得ます。
診療所の開設手続きと保険指定は分けて考える
事業譲渡によって開設者が変わる場合、医療法上は、旧開設者側の廃止手続きと、新開設者側の開設許可・届出などを確認します。さらに保険診療を続けるには、地方厚生局における旧保険医療機関の廃止と新たな指定申請も必要です。
この2種類の手続きを混同すると、譲渡実行日に診療所は開設できても、保険診療の指定が整っていないという事態が起こり得ます。保健所、都道府県、地方厚生局のスケジュールを一つの工程表にまとめて管理しましょう。
2026年9月から遡及指定の取扱いが変更
保険医療機関の遡及指定については、2026年9月1日から取扱いが変更され、申請手続きが次の3類型に整理されています。
- 個人開設者の死亡・病気等による緊急承継
- 至近距離への移転または開設者のみの変更で一定要件を満たす場合
- 上記以外の場合
3番目の「その他の場合」に該当するときは、原則として遡及指定を希望する日の3か月前までに予定届出書を提出し、必要に応じて事前相談を行います。分院譲渡や開設者変更がどの類型に該当するかは案件ごとに確認が必要です。
また、遡及指定が認められても、旧医療機関で届け出ていた施設基準がすべて自動的に引き継がれるとは限りません。施設基準ごとに届出期限や取扱いを確認する必要があります。
出典:東海北陸厚生局「保険医療機関等の遡及指定及び機能移転の取扱いについて」(2026年8月6日掲載)
自院が法人承継と事業譲渡のどちらに向いているか分からない場合は、相手探しを始める前に選択肢を整理しておくと安心です。M&A承継サポートでは、歯科医院の形態や希望条件を確認し、無料簡易査定とスキームの整理に対応しています。
医療法人の分院だけを譲渡するスキーム
分院譲渡は一部事業の譲渡として設計する
分院譲渡は、株式譲渡と並ぶ独立した法制度ではありません。一般的には、医療法人が運営する複数の歯科医院のうち、特定の分院に関する資産、契約、営業権などを切り出す事業譲渡として設計します。
売り手の医療法人は本院やほかの分院を引き続き運営するため、法人格自体は買い手へ移りません。対象分院に関する定款変更、診療所の廃止・開設、保険指定、施設基準、スタッフの雇用移行を個別に確認します。
分院単独の収益力を説明できる資料を整える
医療法人全体の決算書だけでは、対象分院の利益が分からない場合があります。次の資料を用いて、分院単独の収支を整理します。
- 分院別売上、患者数、レセプト件数
- 保険診療と自費診療の構成
- スタッフ別人件費
- 医療機器、リース、保守費用
- 賃料、水道光熱費、広告費
- 本院と共通する材料費や管理費
- 本院から応援に入る歯科医師等の人件費
たとえば、歯科材料を本院で一括購入している場合や、理事長が無償に近い形で分院を診療している場合、分院の帳簿上の利益が実態より高く見えることがあります。共通経費と代替人員の人件費を反映した「譲渡後収支」を作ることが重要です。
関連記事:歯科医院M&Aの売却価格・評価方法
事業譲渡で注意したい診療録と税務
診療録は単なる顧客リストではない
診療録や患者情報は、営業用の顧客リストとして自由に売買できるものではありません。承継後の診療に必要な情報として、個人情報保護法や医療・介護関係事業者向けガイダンスに沿って取り扱います。
個人情報保護委員会は、医療機関の廃止等により別の医療機関が業務を承継する場合について、「事業の承継に伴って個人データが提供される場合」に該当すれば、承継先は個人情報保護法上の第三者に当たらないと説明しています。
ただし、形式だけ事業承継としていれば常に同意不要になるわけではありません。利用目的の範囲、安全管理措置、電子カルテの移行方法、患者への案内などを個別に確認します。
出典:個人情報保護委員会「医療機関の業務承継と診療録等の提供」
譲渡対象によって消費税の扱いが異なる
事業譲渡では、譲渡する資産ごとに税務上の取扱いが異なります。国税庁は、営業の譲渡について、課税資産と非課税資産の対価を合理的に区分する必要があるとしています。同庁の質疑事例では、営業権や有形固定資産は消費税の課税対象、土地は非課税として例示されています。
個人医院の事業譲渡、医療法人による事業譲渡、出資持分譲渡では、代金の受取人や所得区分も異なります。医療法人が分院事業を譲渡した場合、譲渡代金を受け取るのは原則として医療法人であり、理事長個人ではありません。
出典:国税庁「営業の譲渡をした場合の対価の額」(令和7年8月1日現在)
歯科医院M&Aのスキームを選ぶ判断基準
| 自院の状況 | 主な候補 | 優先して確認する項目 |
|---|---|---|
| 個人医院を丸ごと譲りたい | 事業譲渡 | 開設・保険指定・雇用・賃貸借 |
| 持分あり医療法人全体を譲りたい | 出資持分譲渡と経営体制の交代 | 定款・社員・役員・潜在債務 |
| 持分なし医療法人全体を譲りたい | 社員・役員の交代等 | 対価設計・退職金・法人財産 |
| 複数医院のうち1院だけ譲りたい | 分院事業の事業譲渡等 | 分院別収支・定款・共通契約 |
| 不要な資産や債務を除外したい | 事業譲渡 | 譲渡対象・債権者や契約相手の承諾 |
最終的なスキームは、譲渡価格だけで決めるものではありません。不動産や医療機器の名義、借入金、個人保証、税引後の手取り、売却後の勤務条件まで含めて比較します。
スキーム選択で起こりやすい失敗
出資持分を譲れば経営権も移ると思い込む
出資持分の譲渡と、社員・役員の変更は別の手続きです。持分保有者、社員、理事、理事長、管理者を一覧にし、誰がどの時点で交代するのかを明確にします。
保険指定や施設基準を後から確認する
譲渡契約を締結できても、保険医療機関の指定が予定日に間に合うとは限りません。遡及指定の類型や施設基準の取扱いを含め、基本合意の前後から行政機関へ相談することが重要です。
分院の利益を過大に見積もる
本院負担の材料費、広告費、事務費、理事長の診療人件費などを分院へ配賦していない場合、帳簿上の利益と譲渡後の利益に差が生じます。買い手が必要とする代替人員の費用まで反映して確認します。
売却価格と個人の手取りを同一視する
個人医院の事業譲渡、医療法人による事業譲渡、出資持分譲渡では、代金を受け取る主体と課税関係が異なります。譲渡価格だけでなく、税金、退職金、借入金返済、個人保証の解除後に残る金額を確認しましょう。
関連記事:歯科医院M&Aの流れと必要な準備
まとめ|歯科M&Aは法人形態と譲渡範囲から考える
歯科医院M&Aでは、個人医院、持分あり医療法人、持分なし医療法人で選択できるスキームが異なります。検索上は「株式譲渡」と呼ばれることがありますが、医療法人では出資持分、社員、役員などを分けて整理する必要があります。
個人医院や分院の事業譲渡では、資産だけでなく、雇用、賃貸借、リース、診療録、診療所の開設、保険医療機関の指定を同じ工程表で管理することが重要です。2026年9月から変更された遡及指定の取扱いも、早い段階で確認しましょう。
歯科医院M&Aのスキームに関するよくある質問
歯科医院でも株式譲渡はできますか?
医療法人は株式を発行しないため、厳密な意味での株式譲渡は行いません。持分あり医療法人では出資持分譲渡と社員・役員の交代、持分なし医療法人では社員・役員の交代などを組み合わせて経営体制を承継します。
個人経営の歯科医院はどの方法で売却しますか?
一般的には事業譲渡を検討します。医療機器、内装、営業権などの対象を定め、スタッフ、契約、診療録、診療所の廃止・開設、保険指定の手続きを進めます。
医療法人の分院だけを売却できますか?
分院だけを対象とする譲渡もスキームとして検討できます。一般的には事業譲渡を用いますが、定款、分院別収支、雇用、契約、開設・保険指定などを個別に確認する必要があります。
事業譲渡後もスタッフを継続雇用できますか?
継続雇用は可能ですが、労働契約が当然に買い手へ移るわけではありません。承継後の雇用条件を説明し、対象スタッフから個別に承諾を得ながら進めます。
事業譲渡で診療録を引き継げますか?
事業承継に伴う提供に該当する場合、承継先は個人情報保護法上の第三者に当たらないとされています。ただし、利用目的、安全管理、承継の実態などを個別に確認する必要があります。
本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別案件に関する税務・法務・労務・行政手続き上の助言ではありません。実際のM&Aでは、管轄する保健所・都道府県・地方厚生局および税理士、弁護士、社会保険労務士、行政書士等の専門家へご確認ください。
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